合格体験記(あわ)
目次
1.初めに
5年目にしてようやく合格できました。お恥ずかしい限りです。
(部分)ストレート合格と言う言い方は変な言い方ですが、この年に1次を学習し直したことが合格の大きな要因だった、という気持ちを込めています。初年度を除き1次にあまり苦労したことのない自分でしたが、最終年度に2次を意識しながら1次を学習した成果は大きかったと思っています。
受験歴
平成16年度 1次○ 2次×
平成17年度 1次○ 2次×
平成18年度 1次○ 2次×BBBA
平成19年度 1次△ 2次×AABC 1次不合格:企業経営、財務、中小
平成20年度 1次○ 2次○ 口述○
2.受験動機
前職のゼネコンでは、人事、支店経理、法務を各5年程度経験し、最後に経営企画で関係会社の管理を担当しました。仕事の内容は、①関係会社の支援、指導、②関係会社の再編(5年間で50数社を30数社にまで整理・再編した)、③予算・実績統制、連結決算導入など、でした。
会社数が多いため、まるでもぐら叩きのように次から次へと問題が起き解決を迫られる中で、小なりといえども会社経営の難しさ、手を打とうとすると思いがけないところに波及する経営の全体性などを強く意識させられました。やりがいも大きい反面、それまで経験したどの職務とも異なり少しオーバーに言うと全身全霊で臨むことを要求される日々でした。
その一方で、問題が起きるたびに関連の知識をにわか勉強でお茶を濁していましたが、経営の基礎知識の不足を次第に強く感じるようになっていました。(当時はSWOT分析という言葉すら知りませんでした)
そんな中、親会社自体が銀行主導による同業者との合併の中で、抜本的な債務の整理と経営改善を行うことになりました。
たまたま自分の入社した会社の方が消滅会社になったことを良い潮時と考え、また、当初不可能と思われた年度予算が関係会社全体の頑張りのお陰で達成できたことも個人的に良い花道と受け止め、03年(平成15年)退職を決意しました。
この時点でやりたかったことは次の3つでした。
①中小企業診断士の受験
(関係会社の管理を通じて、以前から中小企業経営に興味を持っていたことを思い出しました。企業経営理論と経済学が受験科目にあることも魅力でした。)
②経済学の勉強
(97年の金融危機やその後の景気後退によって自分のいた小さな企業社会の基盤があっけなくひっくり返されるのを目の当たりに見て、経済社会に関する勉強不足を痛感しました)
③株式投資の勉強(ささやかな資産の運用を図るためWバフェットの本をじっくり読みたいと思っていました。)
この年の7月に退職し11月に受験校のコースに通い始めました。
3.合格の要因分析
途中は省略して、合格した08年のことを中心に書きます。
1)もうあとがない、という心理で真剣になれたこと
それまで真剣でなかったのか、と突っ込まれると思いますが、結論としてやはりこの年ほどの必死さはなかったようです。真剣になった効果としては、次のような点が上げられると思います。
・勉強のアイディアや小さな工夫が自然に湧き、それが成果に繋がった。また、ねくすとの仲間のノートの取り方や文房具などを遠慮なく参考にして貪欲に取り入れることができた
・仲間や知人から不思議なくらいタイミングよく励ましや応援の声、アドバイス、ありがたいツッコミをもらえた
・土曜ねくすと(どねく)などでなりふり構わぬ積極性を発揮できた。それまでは年齢への遠慮からなるべく目立たないようにというのが基本方針?だったが、必要と思ったら遠慮なくホワイトボードで図にして説明するなどした。
・作問者の意図や事例企業の社長の問題意識等すぐには分からないこともしつこく考え続けられた
2)年初に2次合格のための課題分析とスケジュールが作れていたこと
せかされるのが嫌いで時間の制約に弱いためパニックになり易い、という自分の欠点に対し従来から対策を講じていたつもりでしたが、この年は自分の作業特性分析などを改めて行い、この課題対策を最優先させました。
自分の作業特性を考えていくうちに、ふと思い出したエピソードがありました。
30年近く前の人事部時代に内田クレペリン検査の研修を受けたことがあります。これは単純な足し算を短い時間の負荷をかけてやらせ当人の作業特性を見るという検査です。(以前助言理論が1次科目にあったとき過去問か模試で出題されていた記憶があります)
その際自分は「初頭出不足型」と判定されました。…要するに脳のエンジンのかかりが遅いらしいです。普段でも「いきなり言われてせかされる」というのが非常に苦手で、無理に対応すると慌ててしまいろくな結果にならないという弱点がありますが、この辺に起因しているようです。
なお、後半は作業量が増えますがミスも多いというのも特徴でした。
改めてこの自分の特性を振り返り、「エンジンがかかっていない状態で無理をすること」がパニックの要因と考え、この時間帯にいかに無理をせずかつ得点貢献の高い作業をするかを重要課題としました。また、仮にパニックに陥っても安全サイドへ落ちる対策も講じようと思いました。
また、財務事例で計算ミスが多いというのが当初から悩みでしたが、ミスノートを作りミスを分類し個別に対策を考えるなどの対策が(なかなか成果が出ずに焦った時期もありましたが)、結局は役立ったと思っています。
3)1次と2次の連携を強く意識した学習を行ったこと
この年、初めてねくすとの1次組に参加しました。当初頭の中には4回も落ちた2次試験のことしかなかったため、全ての1次の問題を2次への展開を考える機会とするつもりで臨みました。
これがどこまで功を奏したかは不明ですが、その過程で作ったカードは自分に合ったツールとして2次試験まで愛用しました。(用語の抜き出しではなくて、大きめのカードに記述文を書いて複数箇所を白抜きにし、裏面に正解を書いたもの)
しかし、1次組での議論を重ねるうちに、知識面以外でも1次の学習が2次に繋がっていると思うようになりました。具体的には、
①短いロジックを鍛えられる。2次も結局は短いロジックの塊。
単純な○か×で済ませるのではなく、×の場合その理由が全否定なのか部分否定なのか「そこまでは言えない」なのかなど丁寧に詰めることで、議論の中で因果関係のセンスを磨くことができると思います。1次の段階からそれを意識すれば、論理思考の本を何冊読むよりも実践的、効果的なツッコミの能力を身につけ、思考を素早く行う訓練になると思います。
②相手の言うことを理解し応える練習になる。
1次の学習では、仲良く一緒に問題を解くという場面だけでなく、相手の意外な発想や考え方の違いに触れられると思います。そうした場合の対応力は2次のためにも役立つと思います。
2次試験では、納得して手応えのある解答を書けるなどというケースはまれで、「なんでこんなことをこんな聞き方で聞いてくるのか」という意外感の中で対応する場合が多いのではないでしょうか(少なくとも自分はそうでした)。短時間のうちに相手の真意を推し量り、使えそうな判断基準を選んでそれらしいことを書かねばなりませんが、どこかリアルの議論に通じるものがあるように思います。
なお、「相手の立場に立って考える」ことの意義は、診断士が社長の思いや問題意識を受け止め、それに沿った診断・助言を求められるという職業上の要請でもあると思います。
③1次は正解が分かるため、2次にも正解があるという感覚を掴める
2次試験の正解が発表されない、というのがこの試験の大きな特徴ですが、2次の学習が長くなったためか、自分が小手先の言葉遊びみたいな隘路に入ってしまったのかもしれない、と自覚するケースが時々ありました。
(2次試験の出題の趣旨、合格者の再現解答、受験校の模範解答を読んでも、隘路から抜け出す決定打にはなりにくいと思います)
そこで、1次を学習することによって「2次にも正解はあるはずだ」という感覚を取り戻そうと意識しました。問題集の後ろに信頼できる正解が載っているというのは初めのうち何か新鮮で、繰り返すうちにやがて2次の正解の存在もイメージできたような気がしました。
次の問題はその2次の正解がどのようなものか、またどうすればそれに近づけるのか、ですが、これは過去問学習を通じて「相手が何を試したがっているのか」ということを考え抜くしかないと思います。(試験委員対策など意味がないというのはねくすとでは常識です)
以前OBから聞いた話も思い出しながら、考えていった結論は、当たり前と思われるかもしれませんが、①企業経営理論等の1次の基礎知識、②コンサルティング理論、③ロジカルシンキングなどの「基本知識」を「応用」したものに過ぎないだろう、ということです。
そして、仮に2次の正解が発表されれば1次の正解と同じように「ああそんなことか」といった納得しやすい内容が「タコ社長基準」で書いてあるに違いない、ということでした。与件文には様々に幻惑する要素が散りばめられていますが、それも、問われていることが余りにも基本的なことの反映ではないか、と思えるようになりました。
従って、「基本と応用」を意識し徹底していけば合格に近づくことが出来るはずで、そのためにも2次を意識した1次の学習は有効と思いました。
なお、最近は特に、1次でも2次に近い応用能力を問う問題が増えている印象もあり、有効性が従来以上に高まっているように思います。
④財務の計算力、スピードのアップが図れる
7・5・3が予定通り実行できたのは財務会計だけでしたが、2次での自信にもつながりました。
スピ問は問題ごとに日付とかかった時間をメモするようにしていました。かかる時間が目に見えて短くなると嬉しいものです。(1次終了後スピ問をさらに2回転させました)
4)80分の制約に本気で立ち向かえたこと
前述のパニックに陥りやすい弱点には、必要以上に細かい部分にこだわってしまうという欠点も関係していたようです。
事例問題を解くスキルは下図のように「時間無制限で一定レベルの解答が書ける能力」と
「80分の制約下で一定のレベルまで達する能力」に分解できると思います。自分の場合、いつのまにか前者にばかり注力しすぎてしまったため、従来「80分の制約対策」を考えたつもりでも、「そのために特に重視しなければいけないこと」や「そのために捨てなくてはいけないこと」の見極めが甘かったと思います。

こうした欠点を克服し「80分の制約の中で安定して合格答案を書ける」ことを最大の課題として、以下のような工夫をしました。
①なにもかも盛り込むことは最初から諦め、80分の制約の中で基本=得点効率のいい作業、を優先させる。(パレートの80:20の法則のイメージです)
・具体的には、解答ルーチンの中で、SWOT分析や事例企業の方向性、設問分析など解答の方向性を大きくはずさないための作業を優先させることにしました。(メモ図の工夫、事例ごとの注意点のメモや事例演習時のチェックなど。特に、事例の軸となる外部環境は絶対はずさない、という意識で取り組みました)
・メモ図は、SWOTとバリューチェーンの略図、アンゾフのマトリックス、設問構造図など自分で工夫したものです。(下図参照)
・図なら簡単な作業のため脳のエンジンが働かない時間帯の有効活用ができ、かつ、後でパニックに陥った時(「溺れる者」が「藁」を?もうとする時)に「藁」よりはるかにマシな救命具になるのではないかという発想です。

・慣れると箱だけ書いてメモは頭の中で行うという省略も可能で、実際本試験ではそうしました。(上図は事例Ⅰのモデルですが、本試験で実際に書いた文字は「コスト削減要求」と「方向性」の囲みの内容、設問メモのみで、他は頭の中に浮かべたことです。なお、設問番号の配置は解答用紙の解答欄の配置と同じに記入するのがミソです。)
・本試験では、ほとんど瞬間的に眺めるだけの余裕しかありませんでしたが、方向性を大きくはずすリスクからは守ってくれたのではないか、と思います。
②解答での因果やタコ社長基準の徹底を図るようにしました。
パニックになったり手が震えても、必ず因果を盛り込み何が言いたいか伝わる解答が書けるよう練習しました。直前期にどねくで「タコ社長基準でない」と激しいツッコミを受け火達磨炎上したことが2度ほどありましたが、これはありがたいことで、自分に対して念を押す機会になりました。
③他には、設問要求をはずさないためのメモの工夫(解答の枠を予め用意する)や与件文を効率よく読み取るための区切りの仕方の工夫などを納得がいくまで続けました。
④事例ごとの留意点や解答ルーチンをエクセルの表にまとめ、直前期には「80分間の中で使えるかどうか」「使うべきかどうか」を基準にしつこく書き直すなかで、定着を図りました
※適切な例えかどうか分かりませんが、ゴルフで言うと、①は「ティショットでフェアウェイをキープする」、②は「パットを磨く」というイメージと言ったらいいでしょうか。
以前ゴルフをよくやっていた頃、第1打でフェアウェイ(方向性)をはずすと後のリカバリーが難しくなってしまったこと、パットはスコア(得点)に直結することからの連想です。そして、本番では細かい途中経過は気にせずこの2つに集中できればボギー(60点)は取れる、と思ったからです。(もう10年以上実際のプレーはしていません)
4.本番(2次筆記試験)
会場は田町でした。トイレに長蛇の列ができ、事例Ⅱの前にノートを読み返す時間が取れませんでした。
試験の出来としては、発表までの間、「合格したら事例Ⅳのおかげ、不合格なら事例Ⅱと事例Ⅲのせい」と思っていました。
・事例Ⅰ:過去問より事例の方向性が掴みにくい事例だと感じました。
第1問と第5問を整合させにくく、「今年もダメかもしれない」と思いました。
第2問が最も書きにくい設問だと感じて最後に残しましたが、結局は「ここは皆苦労するので点差が開かない」と割り切り、最低限のことと与件を使っていることが採点者に伝わることだけを考えて書くことにしました。
・事例Ⅱ:一見してどこかの模試のような事例と思いましたが、事例の構造も掴みにくい上、妙に書きにくい設問が多く途中で諦めかけました。励ましてくれた人達のことを思い出し、とにかく最後まで書こうと思い直しましたが、終わってからも納得感の一番少ない事例でした。基本スキルを使い忘れるなどのアクシデントもありました。
また、終了直後に「第5問の主語がB社だった」となぜか勘違いして、「高級旅館とアウトレットのありえない協業を書いてしまった」と焦りましたが、昼休みの間に気持ちを入れ替えることができ「事例Ⅲで取り返そう」と前向きになれました。
(主語がH温泉だったことに気付き胸をなでおろしたのは、打ち上げ会場の席でした)
・事例Ⅲ:第2問設問2が難しくまたポイントと考え最後の10分間を充てました。攻めの解答と守りの解答のどちらかにするか迷いましたが、他の問題ができていた自信があったため守りの解答にしました。
しかし、後日、他の問題に自信がなくなると、何度も練習した競争戦略で攻めの解答を書かなかったことが激しく悔やまれました。
・事例Ⅳ:直前期の対策が功を奏し、問題構造は早い段階で掴めた実感がありました。具体的には、昨年失敗したH19年がその後解き直す中でH15年の焼き直し、という印象を受けていたため、今年はH16年を中心にH17年、18年の3点写経※を繰り返していましたが、案の定H16年の類似問題に思えました。
※必ず、設問、指標メモ、与件をチェックしながら写経を行い、どんどん改善していく方法です
しかし、計算問題にかかろうとしたときなぜか急に手が震えだしてしまい、予定を変更して第4問、第1問の記述から先に書くことで自分を落ち着けようとしました。これが良かったのか計算問題は4問中3問が正解でした。
なお、経営指標では収益性のほか安全性指標を2つ書きましたが迷いはありませんでした。前年の失敗の反省から、与件を踏まえてそれなりの記述が書ければ、指標の選択には迷わないと決めていたからです。財務事例の指標の選択では一種の見識と度胸が試されると思います。
・全事例で第1問を最後に書く予定でしたが、結局全事例で予定を変更するはめになりました。
・改めて本番の80分×4事例の厳しさを思い出します。結局、事例Ⅰと事例Ⅱで各1回、事例Ⅳで2回、「今年もだめかも」と思った瞬間がありました…。
5.最後に
自分にとっては苦い思い出となった2つの事例があります。
・平成18年事例Ⅰ:
「知っている業界には注意し慎重に対応せよ」という鉄則は弁えているつもりでしたが、本番でいきなり自分の診断士受験の原点でありかつて日々格闘した親子会社の事例を出題されてパニックに陥ってしまいました。途中退席はなんとか踏みとどまりましたが後の事例にも影響してしまいました。(この事例は終了後に回りの人の解答用紙にも白紙部分の多さが目立つ難問でしたが、自分としては事例に立ち向かう気持ちが弱かったため、体験に引っ張られてしまったのだと思います。確かに、プロパー社員とかの用語や子会社の給与水準、自律性の問題など、かつて身近だった用語やテーマが事例問題になるなど一度も考えたことがなく、不意打ち感は満点だったのですが…。A社社長にそっくりの子会社社長がいたことなど完全に余計なことも試験中に思い出してしまいました。)
・平成19年事例Ⅳ:
与件のKWをはずさないと言う方針で臨んだところ、この年はKWというより与件文の端的な要約が必要なことにまず戸惑ってしまいました。加えて、第1問の問題構造に違和感を抱いたまま解消できなかったことや、最初に頭に浮かんだ経営指標の組み合わせがあまりにも突飛に思えたため常識的な指標に収めようとするうちに、記述の混乱や計算ミスが生じてしまいました。
これに対し、平成20年度は、「問題の傾向が変わった」という印象や微妙な違和感は例年同様各事例にあったのですが、それ自体は「それがどうした」という感じで、大して障害にはなりませんでした。解答に迷い4回も「今年も駄目か」と思う瞬間もありましたが、難しくてもなんでも自分のできることをやり尽くすだけ、という風に意識が絞れていたように思います。自分の課題克服や能力向上に真剣に取り組んだおかげだと言えるかもしれません。
年間を通じて運に恵まれたせいもあったと思います。特に感謝したい幸運は次のとおりです。
・学習期間の肝心なところで、ありがたい励ましやツッコミを受けられたこと
・5月頃、OBのOさんの指摘で、いつの間にかSWOT分析が甘くなっていることに気付けたこと、また、「相手(社長、作問者)の立場を考えコミュニケーションを図る」ことの重要性を指摘してもらえたこと
・1次、2次の学習を通じてねくすとの勉強仲間と連帯感を深められたこと
試験が終了した後で印象的だったのは、すいねくのために再解答を作ったところ例年と違い時間をかけても本試験で書いた以上の解答になかなか直せなかったことです。
それで、数年前の新聞のコラムに載っていたこんなゴルフ俚言を思い出しました。
「持ってこなかったものをゴルフコースで発見することはできない」
5年もかかってしまいましたが、本番に何を持っていくか迷いがなくなり、また、持っていったものを風雨の中でも一応なんとか使いこなせるように、やっとなれたのかもしれません。
