合格体験記(なめこ村)

目次
1.「大事なのは今だ!」

平成19年の合格発表時、「ねくすと」のMLでの「合格しました」の報告のラッシュを呆然と眺めていた。僕は事例1で設問二つを空欄、事例2で設問一つ空欄を残していたので、合格は絶対ありえないと自分では分かっていた。それなのに・・・、ねくすとで顔を合わせて勉強してきた方達の合格報告を見ているうちに、悔しさ、情けなさ、それに嫉妬が入り交じった感情でわけがわからなくなった。
一人で考えてみた。「自分はこの試験に向いていないのでは?」
そんなことを考えて、「受験を止める」と決めた。僕は逃げた。それから、診断士の勉強は一切せず、酒を煽る日々が続いた・・・というのは、ウソで僕は酒が飲めない。そんな無頼の日々に憧れただけだ。現実には漫画喫茶でドカベンを無意味に全巻制覇し、無意味な充実感を味わっていた。そんなダメ人間な時、漫画喫茶で僕は再受験を決意させる言葉に出会った。

『大事なのは今だ !
今、戦うことが大事なんだ !
今、戦わない人間が、あとで戦うわけがない !!
戦わないための言い訳なんて、無限に考えつけるものなんだ !!
戦いを放棄する人間に一緒に戦えとはもう言わない !
だが 戦う人間を妨げることだけはしないでくれ !』
雁谷哲『男組』より

そうだ!逃げていたんだ。もう一度だけ受験してみよう。
自分の限界まで試してみて、ダメだったら僕にはムリな資格なんだから諦めよう。
それから、僕は今までの勉強を見直してみた。

2.「全てをブチ壊せ!」

1次試験は落ちた事がないが、2次試験は3回落ちた。2次試験の敗因はなんだろう?僕はねくすとに参加してOB方から沢山の二次試験のヒントをいただいた。そのおかげで、今まで独学で漠然としていた2次試験の輪郭をようやく掴んだ感触があった。でも、本番ではまるで歯が立たなかったのだ。試験後、再現答案も書けなかった。書こうとしても、当日の出来なかった感情がこみ上げてきて手が書く事を拒否した。なぜ出来なかったのか。自分の情けなさを見つめ直す時間が僕には必要だった。
これまでの受験歴を振り返る。僕は約4年間、診断士試験の勉強をしていた。これだけは断言できる!4年間勉強してよかったことは何もない!長い休みに妻を何処にも連れて行ってやれなかった。そして、恐ろしいことに気がついた。僕はそれまでなんとな~く勉強して、なんとな~く受験していたのだ!気がつけば、あっという間に、4年の歳月が立っていた。4年の歳月・・・例えば赤ちゃんならオギャーと生まれて、「お父ちゃんのバカ!」くらい喋るかもしれない。あまりにも長い歳月を無駄に過ごしていたことに愕然とした。もう、これ以上、こんな生活はイヤだ!今年で終わらせてやる!と心に誓った。
見つめ直した結論は、「今までの勉強のやり方を全て変える」というものだった。2次試験過去問を何度も繰り返す勉強を止めた。だいたい、僕ぐらいのレベルで過去問は早いのだ。余計な思い込みを増すだけだ。それに去年は過去問を勉強する方法で落ちた。去年と同じことをしていても失敗するだけだ。本番では過去問は出題されない。初見の問題を時間以内に説く練習も絶対僕には必要だ。

3.「受験貴族にな~る、の巻」

2次試験は今まで独学だったので、予備校に行く事に決めた。独学で合格してやるという僕のこだわりみたいな物が、長年の敗因のような気がしていた。いろいろな予備校に足を運んでみた結果、MMCに行くことに決めた。予備校には当たり前だが、お金がかかる。しかも、MMCは高額な予備校だ。「もう、今年で止めるからMMCに行かしてくれ」と妻に何度も頼んだ。「今年で受験を止めること」を条件に、なんとか、キャシュで現金を払い込んでいただいた。当然ながら我が家の財政状況は悪化した。これも僕が投資効率の極めて低い男だからだ。許せ、妻!!しかし、これで僕は高額な予備校MMCに通う受験貴族だ。まったく、現金なもので、もう合格する気がしてきた。

4.「予備校ブギ」

予備校が始まった。最初の30分は一次試験の知識を試す記述問題。30分で終わらない分量が出題される。記述問題なので曖昧な知識だと書けない。考えていると時間切れ になる。30分の時間感覚と誤摩化す技術が身に付いた。試験の出題はテキストから なので、予習すればいいのに僕はしなかった。予習が面倒なのもあるが、初見の問題を 見てビビらない度胸を身につけたかったからだ。当然、記述問題の順位はいつも下から 数えた方が早かった。負け惜しみのようだが、僕は順位を気にしなかった。 ※1
記述問題が終わったら、いよいよ事例問題だ。80分間で初見のオリジナル問題を解く。 不思議な事に、毎回、上位の成績が取れた。去年の努力がようやく花開いたのかと一瞬有頂天になった。しかし、僕は不安だった。去年の悪夢がよみがえる。僕は本番で空欄を残してしまった。MMCでは「空欄にするな、とにかく泣きながら書け!」と教えられた。空欄を残してしまう恐怖に怯えつつ、本番を意識して答練に望んだ。
そのためになんでも試した。時間を短縮するために、与件のアンダーラインを蛍光ペンからシャーペン1本に変えた。※2 消しゴム・シャーペンを毎回の答練で試した。問題を見て スグに「切り口」が浮かぶように何度も答練を復習した。しかし、僕は不安だった。道具や手順よりも、もっと何か揺るぎない確信を僕は得たかった。

5.「勝つと思うな、勝つとイメージせよ」

そんなある日、面白いテレビ番組を見た。「爆笑問題のニッポンの教養」※3 だった。スポーツ心理学の先生がゾーンと呼ばれる100パーセントの力を出す状態について解説していた。見ている中に夢中でメモを取っていた。そうか、そうだったのか!それから僕は事例を解く順序・道具を全て定型化した。イチローがバットを出すように、全ての流れを定式化した。イメージトレーニングも行った。通勤中に頭で試験をイメージする。当日の試験会場、問題が配られた後の静寂、開始のベル、解答用紙に受験番号を記載、試験問題の切り離し・・・できるだけ、細かくイメージする。「オリンピック選手は本当に細かい事までイメージできるんですよ」と番組の中で先生は言っていた。そして、第一回模試の前日に自分の解答手順を書いた紙を見てひたすらイメージを行った。テキストや財務の問題など一切解かなかった。次の日の模試、概ねイメージ通りに試験が進み、全ての事例で時間が5~10分余った。これが僕の最初のブレークスルーだった。自分で編み出した方法で試験を攻略している手ごたえを感じた。

6.「フライング」

5月の連休は予備校の答練にとどめ、そろそろ1次対策が必要だった、昨年権利を得たものの何となく受験する気分になっていたので、受験料を早速払い込むよう妻に頼んだ。すると、妻は期日よりもフライングして振り込んでしまった。結果、自宅から歩いて立教に行けるにもかかわらず、NTT研修会場になってしまった・・・僕の血の教訓:フライングには気をつけよう。
1次試験のコツはなんとなく掴んでいた。1次は60点で合格、総合で6割行けば合格だ。
ただし、地雷を踏み40未満だと、どんなに総合点が高くても足切りになる。僕の戦略は
70取れる科目を3つ育てる、40以下の科目を無くす、というシンプルなものだ。
それから、1次に限って言えば模試は多く受けた方が良い。※4 予備校が狙われやすい論点を出してくれるからだ。
1次試験会場は快適だった。遠いと文句を言っていたが、今までのどの会場よりも設備
がよく、試験開始前にも自習できる場所が沢山あり、しかも冷房完備だ。おまけに、試験監督はねくすとの先輩だった。なんだかツイてる!僕は試験前から合格を確信した。試験途中に時計の文字盤に水蒸気が入り、時間が分からなくハプニングがあったが、なんとか試験を無事に終える事ができた(ちなみにオメガ、修理費が3万以上かかった)。試験が終了すると予備校の速報が配られるが無視した。※5 僕は平成17年にLECの解答速報では不合格だったが、合格した経験があるからだ。診断士協会の正答が発表されてから自己採点する。正直ってヤバかった・・・でも、ギリギリ・スレスレで合格していた。

7.「Sturm und Drang」

1次が終わると、これまで暇だった仕事がウソのように忙しくなった。休日はオプションの答練があるので、なんとか休日出勤を免除してもらった。そのかわり、平日は残業を何時間でもこなすことになった。終電で帰り、家に着くのは1時過ぎだった。でも、そんな状況を楽しんでいる自分がいた。悲壮感もなく、これまでの自分の勉強を続けば合格できると強く思い込んでいた。帰りは電車で寝て体力を蓄えることにした。体の調子がいいときは出勤中に事例を読んでイメージトレーニングをした。今は耐える時だと言い聞かせ、平日に勉強できないストレスを溜めないようにした。だから、休日は集中して爆発的に勉強できた。一週間の中で勉強できる時間が取れるのは休日しかない。きっと、ダラダラと勉強していた去年までの僕の3倍は集中して勉強していたと思う。
しかし、答練成績は悪く上位に入れなくなった。今まで努力せず上位に入れたのがウソのようだ。慢心していたなと素直に反省した。そして、「昨年の俺とは違う、絶対に諦めない!」と改めて心に誓った。講師が「まだまだ伸びます 諦めるな」と答案に書いてくれた。あせらず、くさらず、投げ出さず、復習を続けた。しかし、成績は低空飛行のままだった。もっと素直に、もっと分かりやすく書くにはどうしたらいいのか?試行
錯誤を続けた。答練の後半ようやく手応えを感じた。最後の模試にようやく13位と上位に入ることができた。本番に持っていくお守り答案ができた。僕はうれしかった。

8.「PAYBACK」

本番直前も相変わらず仕事はハードだった。金曜日に風邪気味なことを過剰にアピールし、なんとか定時にズラかることができた。土曜日は、イメージトレーニングしてから、妻の買い物に付き合うため外出し、気分転換をした。いよいよ明日だな、大丈夫、俺は明日こそ台本通り勝つんだ。
試験当日はどんなに交通機関が乱れても確実に間に合う時間に出発した。目黒会場は先週下見をしておいた。ねくすとのOBから指定された喫茶店でねくすとの皆さんと談笑した後に、試験会場へ向かう。
会場内は予想のとおり。マジで狭い。消しゴムで机を消して揺れを確かめる。結構揺れる。隣のヤツが消しゴムを使うと揺れるかもしれない。気をつけよう。トイレは数が少ない。これも予想とおり。水分は控えよう。試験まで事例ⅠのポイントをまとめたA4一枚の紙を眺める。
試験が始まった。隣のオッサンの独り言がうるさい。オッサンは与件を読みながら「ほ~う、難しいな」など、いちいち呟く。途中で注意しようと思ったが、ここでキレたら、なんだかオッサンの術中にはまったような気がして止めた。そのうち、問題文と与件を読み、必死にメモで解答の草案を作成する作業にいつの間にか没頭していた。
あっという間に事例Ⅱまで終わり、お昼になった。オニギリ2個を食べ、新鮮な空気を
吸うために外に出た。今までの試験の手ごたえは、まだギリギリで持ちこたえている…という感触だった。試験中は「本当は書きたいことと違うのに…」と時間の制約上、「泣きながら」書いた箇所や「なんか日本語がヘンだなぁ」と思いながら書いた箇所も多くあった。やっぱり、いつもの「やっちまったなぁ~」のクールポコ状態だ、すこし落ち込んだ。しかし、OBの「最後までモチベーションを保てて解答できるだけで、アドバンテージがある」という言葉を思い出し、僕の今年のテーマ曲[ヴァイオリン協奏曲ニ長調(第3楽章):チャイコフスキー]を聞きながら、頭を午後の試験に切り替えた。
事例Ⅲが終わった時、僕は勝ったと思った。ここまで、地雷を踏んでいないぞ、残りの事例Ⅳは僕の得意科目だ。ニンマリしながら僕は事例Ⅳを待っていた。そして、事例Ⅳが始まった。記述が少ない…、取替え投資?IT問題がない…!!背筋に冷たいものが降りていった。とにかく、セオリー通り経営指標問題から…、次に計算問題、増資の方法が思い浮かばない…試験前の余裕は消え失せた。こんなんで、落ちてたまるか!心の中で叫んでいた。クソー、結局、こんなオチかよ!あっという間に試験は終了してしまった。

9.「宴の後・・・」

試験後、「とにかく、自分の力で書き切った」という思いと、「あんな解答じゃ落ちたな」という思いが交互に浮かんでいた。終了後は嫁と外食した。テレくさかったがお礼を言いたかった。新婚当時に始めた勉強もいつの間にかこんなに長引いてしまった。今度もダメかもしれない…なんとも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 「お疲れさまでした」 待ち合わせ場所での妻の第一声、なんだか、いつもより妻が優しい。
「ゴメン、俺、やっちゃったよ…」おそるおそる、切り出すが、声が震えている。
「…もう今年で受験終わりだからね」やっぱり、いつもどおり妻は厳しい。
こうして、僕の2次試験は終わった。そして、合格発表までほぼ毎日試験のことを思ってため息をついていた。妻にウザがられ、キレられた時もあった…
夜ジョギングを始めた。バカみたいに運動すれば疲れて、試験のことを思い出さないで寝ることができるという作戦だった。

10.「それで自由になれたのかい」

12月5日の試験発表、なんと僕は受かっていた。すぐに実感が湧かなかった。なんだか1日中フワフワしていたような気がする。翌日、ねくすとの口述試験対策に参加するために駅に向かった時、なんだか風景がいつもよりキラキラと輝いて見えた。その時、受かった喜びを実感したように思う。
これで、僕の体験談は終わりだ。診断士試験は僕にとって敗戦の歴史だった。ようやく重しが取れたような気がする。しかし、診断士になったところで僕は何も変わっていない(そりゃ、受かる前と比べれば考え方とか変わったかもしれないけど)。難しくて雲の上の資格で、自分には才能が足りないんじゃないか?と思ったこともある。でも、自分が受かるとそうでもなかったことが、よくわかった。対策を立てて、本気で努力すればなんとかなるもんだ。試験なんて、しょせんそんなものなのかもしれない。試験とは思い込みと見つけたり。
資格は受かってからが勝負。受験中にOB・先生方に言われていたけど、ようやく実感している。僕は受験中棚上げにしていた、「これから、どんなふうに生きようか?」という大切な問題にようやく本腰を入れて取り組み始めている。
最後になったが、僕を支えてくれた妻・受験中に亡くなった猫のシロに感謝をささげたい。ありがとう。シロ、いい猫だった。寂しいよ。
…中略…それで自由になったのかい それで自由になれたのかよ ブタ箱の中の自由さ
俺達が欲しいのはブタ箱の中でのより良い生活なんかじゃないのさ
新しい世界さ  新しい世界さ…
岡林信康 『それで自由になったのかい』より

注釈