はじめに今こうして実務補習の合間に合格体験記の原稿を書いているのが、まるで夢のようです。それくらい私は平成13年度二次試験の出来は悪かったのです。こんな私でも受かるのなら、皆さん、今年は間違いなく合格です。私が中小企業診断士の学習を始めたのは平成11年の10月24日、まさに32歳の誕生日でした。日本マンパワー広島校で経営基本管理の授業が始まりました。もともと中小企業診断士と言う資格には何となく興味があったのですが、仕事が忙しい上、趣味のダイビングに没頭しており、学習を始めるには到りませんでした。転勤から一年が経過し、広島での生活や仕事も落ち着き、教育訓練給付金という制度も出来たことから、『よーし、やったあ』と思い、学習を開始しました。当初はストレート合格を目指していたのですが、結局、学習期間は一次・二次通算で2年間に及びました。動機私は就職活動のときに戦略系のコンサルティング会社を希望していました。当時マッキンゼーという会社に大前研一さんというコンサルタントがいて彼の本を学生時代から良く読んでいました。新国富論は今から見ても傑作だと思います。自分も彼のようになりたいといつしか思うようになり、様々な戦略系のコンサルティング会社を回りましたが、そこで目の当たりにしたのはMBA偏重主義でした。社員のほとんどがMBAを取得しているか東大の大学院を卒業しているという高学歴。私のような私立文系はすっかり自信を喪失し、やむなく金融機関に就職しました。 銀行に勤務し、しばらくして事業法人の融資を担当することになりました。企業なんてすぐ銀行から金を借りてくれるだろうと高をくくっていましたが、企業が金余りの当時は全くそんなことはなく、資金調達の提案内容に付加価値がないと企業はいくらお願いしてもお金を借りてくれませんでした。その付加価値とは、例えば、販路の開拓、不動産の紹介、退職金制度の見直し、事業承継のための節税対策、不採算事業の譲渡先の紹介、遊休地の有効利用、株式公開のための資本政策の作成、従業員持ち株制度の創設、分離型ワラント債を使ったストックオプション制度の導入などです。これらは全て企業のマネジメントにかかわる重要な意思決定事項です。私がこれらのソリューションを提案していくたびに融資先との関係が親密になり、取引地位が向上しました。 実は日本における経営コンサルティングとは外資系のコンサルティング会社が入ってくる前はメーンバンクをはじめとする銀行がその役割を担っていたのだということを実感しました。たまたま新人配属の部署に企業財務コンサルタントなる方がいらっしゃいました。その方は中小企業診断士の資格を持っており、難しい案件になると、我々担当者と一緒に融資先に同行し、事業承継や資本政策の立案等の提案などをしてくれました。自分もどうせ法人営業をするなら、もっと経営のことを理解し、より高度で付加価値のあるソリューションを提案したいと真剣に考えるようになりました。英語が苦手でMBAは無理だと思っていた私は、その代わりに中小企業診断士の資格をいつかは取りたいと思うようになりました。 ただ、その頃から急速に趣味であるダイビングにのめり込み今度は逆に水中写真家や海外でダイビングガイドをしたいとも思うようになりました。平日は残業、休日は春夏秋冬ダイビングの生活が数年間続きました。 そんな折、初めて東京を離れ広島に転勤することになりました。しかも今度は責任者に昇格した上で、個人の預金集めの営業をすることになりました。全く初めての仕事なので、まずは一年間仕事を覚えることに専念しました。丁度一年が経過し仕事の成果も向上してきたので、中小企業診断士の学習を開始することにしました。 一次試験受験校選び広島には日本マンパワー(以下マンパ)と企業経営通信学院(以下学院)とTBCの3つの受験機関がありました。私が受験を決意したのは10月に入ってからだったので、既に寺子屋式で少人数のTBCは入学を締め切っていました。そこで、まずは学院の体験授業を受けました。生徒の大半は地元の銀行職員である上、大人数のため止めました。一方マンパの説明会は活気があり、説明してくれた先生も情熱に溢れていたのと、勤務先の目の前に校舎があるので、迷わずマンパに決めました。その時は2年間もマンパに通うなんて夢にも思っていませんでした。 まず苦労したことそれは毎日机に向かうということを習慣付けることです。マンパの入学説明会でもそこは重点を置いてました。忙しい社会人が残業が終わって平日机に向かうのは至難の業です。平野先生は勉強しなくてもいいからとにかく毎日30分間机に座る癖をつけてほしいと力説してました。なんとか飲んだ後でも30分間机に座るようにしました。癖が付けば後は怖いものなしです。徐々に時間を延ばしていくのです。平日2時間学習できるようになったのは、2月くらいになってからです。 最終的には自分なりのペースを作りました。本当に辛かったですけど。また、飲酒は歓送迎会等以外は一切止めました。テレビやダイビング、スキー、つり等全ての遊びも止めました。そのために周囲の皆にこの試験を受験することを宣言し、誘わないでくれと懇願しました。お陰で未だに独身です(爆)。 仕事柄なかなか時間が取れないので、様々な工夫をしました。まず学習時間の確保です。残業の後は疲れているので理解したり暗記をすることが困難です。よってサブノートの整理や暗記科目のカード作成や講義のテープを重複して聞くことに専念しました。 翌朝5:00に必ず起床し、熱いシャワーを浴びコーヒーを飲み、目を覚まし、7:00まで二時間、マンパの教科書を読んだり、答練の問題を繰り返しやりました。営業は車でしていたので、講義のカセットを車に載っている間、流していました。講義の墨から墨まで理解することが出来ました。ちなみに受験期間中は好きな音楽は一切聴かず、常に講義のテープか、自ら吹き込んだ施策の暗記用テープをMDで聴いてました。昼休みも貴重な学習時間です。内勤をしているときは会社の向かいにあるマンパの自習室でハンバーガーを頬張りながら一次科目の暗記をしていました。外勤中もファミレスで暗記物中心に勉強していました。 肝心の成績(一次篇)成績は一向に向上せず焦りを感じたときが多々ありました。マンパの場合、科目まとめテストや答練の結果を廊下に張り出すのですが、なかなか名前が載らなくて苦労しました。公開模試を受験する頃から成績が急速に上がりだしました。マンパの全国公開模試は8科目で340点くらいとまずまずでした。ちなみに公開模試で330点以上の方は広島校では00年の一次試験に関しては全員合格でした。 一次試験00年の一次試験は広島で受験しました。広島市内から可部線という電車で一時間以上掛けていきました。会場にはサブノート以外は全く持っていきませんでした。試験開始2時間前に会場に行き、耳栓をしてサブノートを何度も見直していました。注意事項を聞き忘れ受験部門を『商』と書くところを『商業』と書いてしまい、無効と試験監督に言われショックを受けましたが、駄目元と思い、何とか2日間を乗り切りました。さすがに試験終了後はマンパに行き、打ち上げで久しぶりに缶ビールを飲みました。それ以降、二次試験終了後まで一切飲酒はしませんでした。 二次ストレートコース一次二次ストレート合格には一次試験終了直後からの学習が必要と一次受験前から言われていたので、翌日から施策の手引きを購入し、理解に勤めました。ストレートコースが始まるまでに一通り読みました。マンパストレートコースの方針は、@施策中心、A事例は授業で、ということでした。よって初日に施策の学習法の説明があってからは、とにかく暗記のための200字、600字カードを作って暇があれば見ていました。また、それだけでは覚えられないので、MDを購入、自分で200字、600字の模範解答例を吹き込み、四六時中MDを聴きながらつぶやいていました。またモチベーションを保つため、仲間と一緒にテストをし中対の暗記量を増やしました。事例は本当に講義を聴いて、答練を解くだけで不安でしたが、通信で受けた模試の点数は220点程度でした。ただし図書館で時間を計って解いたので、実際の会場とは雰囲気が違います。マンパは通信の場合はそれを加味して順位を出しません。 二次受験二次は大阪会場で受験でしたが、10/1に東京へ転勤が決まり、直前一週間は業務の引継ぎと送別会や引越しに追われ全く学習できないまま試験に突入し、当然不合格でした。一緒に学習していたメンバーも全員不合格でした。 証券アナリスト受験を決意転勤した部署がリサーチセクションだったので、企業分析が必須の仕事となりました。そこで、診断士試験だけではなく、証券アナリストの資格の取得を決意しました。独学では自信がなかったので、TACのビデオコースに入学し、11月から受講を始めました。私立文系の私にとって数学的思考が求められる証券分析や経済学は非常に厄介でした。 二次学習開始またこれから一年間、勉強以外に何も出来ないことを考えると辛かったので、一次試験合格のご褒美として00/12月に大好きなパラオに一週間クリスマス休暇を取り、ダイビングに行ってきました。パラオでのダイビングはこれが4回目です。これで完全に受験に向けてのパワーを充電、正月明けから証券アナリストの学習の好スタートを切ることが出来ました。学習時間は平日3時間、休日10時間程度です。イメージは平日は朝2時間、昼休み30分、夜30分というところです。平日は残業で疲れているので、なるべく早めに就寝し、毎朝5時に起床して学習しました。睡眠時間は5−6時間でした。休日はマンパやTACの講義以外の時間はTACやLECの自習室で8:00から21:00まで学習していました。学習量は習慣化すれば必ず確保できます。 二次受験機関選び二次受験期間は下記の観点から選びました。@グループ学習の機会があること、A優秀な講師がいること、B長年にわたり合格実績があること、C受講料が安いこと、です。TBC、マンパ、J-conの説明会に行き、マンパに決めました。結果的には正解でした。グループ受験者8名中4名が合格しました。今実務補習を受けているグループメンバーの一人もマンパの学習仲間(トライアスリート)です。また、前年マンパに通っていたので、受講料も最も安価でした。 二次学習(1月から4月)マンパの授業は年明けから始まりました。1月は主要一次科目のインプット、2から3月はショートケース、一次インプットは二次に関係のある科目を中心に行いました。マンパのテキストを中心に学習しました。ショートケースはマンパ作成の事例のミニ問題です。また2月からインフォーマルクラスが発足し、過去問研究やビジネスプランのグループ学習が始まりました。このビジネスプランは各班が実際に起業することを前提にブレストを行い、事業内容を決め事業計画書を作成し、最終的には模擬的に投資家にプレゼンする内容のものです。これは受験勉強ではなくベンチャー創業をバーチャルに体験する上で非常に役立ちました。診断士の勉強を受験勉強という感覚で行うのは無味乾燥でいかがなものかと思います。授業終了後、喫茶店で毎回事業コンセプトやアイデアを持ち寄って議論しました。なかなか事業コンセプトが決まらず苦労しました。遠回りかもしれませんが、診断士的思考を身につける上では大変有意義でした。また実務補習もこの作業の延長線にあります。 ただしこの時期は診断士の受験勉強としては予習も復習も一切せず授業を受けっぱなしの状態でした。なぜならば証券アナリストの一次試験が4月にあり、土曜日はマンパの授業のほか、日曜日はTACのアナリスト講座に毎週通い、アナリスト講座の復習を中心に学習していたからです。よって4月のアナリスト試験の直前期はマンパの中間模試も受験しないで、アナリストの自宅学習に充てていました。 二次学習(4月から8月) マンパの授業4月から8月までマンパでは答案練習を行いました。10:00-11:20まで問題を解き、11:30-16:30まで解説が行われました。他の受験機関と異なり、問題数を縮小し、解説の時間を長く取ったようです。授業は8月で終了しました。答案練習の答案が5月より返却されてきました。私は非常に成績が悪く、いつも平均点以下でした。正直このままでは合格の可能性は極めて低いと思いました。 そこで答案練習の答案が返却されたら人数分コピーをし、マンパの講義終了後、会場の近くの喫茶店で私が司会となり、グループの仲間と議論をするようになりました。この会はマンパワーDグループ第4班を略してD4Gと命名しました。この勉強会は自分の答案は低い点なのに他人の答案がなぜ高得点を取れているのかというギャップを認識する上で非常に有効でした。もちろん、ビジネスプランも同時並行的に着々とまとめていました。 答案練習を解くときに問題の構造化をするよう心がけました。問題の構造化とは戦略策定プロセスに各問題を当てはめ重複解答を避け、一貫性ある答案を作成するために行います。戦略策定プロセスは、まず内部・外部環境分析があり、そして事業ドメインやストアコンセプトがある。その下にマーケティング戦略の4Pがあり、その下にオペレーションレベルがあります。これはまず問題を読み、大体あてをつける。そして与件文を読み、各問題がどのレベルであるかを図示することです。この作業を30分で行うことを意識しました。そして残りの40分で答案を作成し、10分で見直しを行う。見直しは10分ないと難しいです。なぜならば一貫性のない解答や題意を外しているときが多々あるからです。 ねくすと勉強会ねくすと勉強会という診断士のグループ勉強会の存在をネットサーフィンで知り、証券アナリスト一次試験終了後の4/25から参加しました。この勉強会は毎週水曜日に神田公園公民館で19:00-22:00まで一次と二次に分かれてグループ学習を行う勉強会です。この勉強会には合格者のOBが参加し、議論の軌道修正やアドバイスなどをしてくれます。その代わり、自分が合格したら受験生にアドバイスをしなければなりません。まさにギブ&テイクの精神です。 私は一次試験を受験する気は全くなかったので、二次組に参加しました。学習のスタイルは、過去問をまず自力で解く。単に問題を解くということではなく、与件企業の背景やそこで扱われているテーマなどについて書籍等で確認しながら(つまりは関連知識を補強しながら)解く。それを勉強会参加者の人数分コピーし、配布する。そして問題の構造化、問題から読み取れることを整理しながら、各自が解答を発表し、お互い自分の解答と他人の解答を見比べながら忌憚なき議論をするというオーソドックスなものです。注意したのはあまり過去にさかのぼるのではなく、同じ問題を繰り返し解く、そして自分の答案、他人の答案の変化やギャップを認識するということです。私はH12−H9までの商業、工業、情報の問題を繰り返し解き、議論しました。1度2度3度とトライし、1回目と2回目、2回目と3回目で読み込んだ結果がどう変わったかメモすることをオススメします。 最初は議論に全く参加できず歯痒い思いをしていましたが、徐々に議論に参加できるようになりました。グループ学習のメリットは自分の独善的な解答が相対化され、他人の表現方法や思考プロセスを盗むことが出来ることです。皆さんにも是非お勧めします。私は試験前日までグループ学習をしていました。 白書・施策やはり中小企業白書と施策は診断士試験のベースとなることから5月から白書のゲラを入手、繰り返し読みました。合計5回は通読しました。またチェックペンで白書のグラフをほぼ暗記しました。施策はアクシスウェブジャパンというコンサルティング会社の少人数グループ学習に出て、実際にどのような形で使われるのかというのを実務的な観点から押えました。また複数の受験機関の各種セミナーのレジュメや問題集を一通りやりました。二次試験には全く出ませんでしたが、施策と白書は診断士として極めて重要な分野であると思います。実務補習でも相手先企業に必ず施策の提案をします。実務補習では大変役に立ちました。 店舗視察暇があれば極力多くの店舗に行き消費体験(買い物)をしました。SM、DS、花屋、ツープライスストア、アウトレットモール、シネコン、セレクトショップ、商店街、外食チェーン等様々な小売業態を視察しました。 新聞・雑誌新聞・雑誌を乱読しました。新聞は5大紙・日経4紙のほか日刊工業や日本工業新聞なども読み生産管理の事例を学習しました。また雑学を増やすため勉強の合間に気分転換として日経ビジネス、日経ベンチャー、週刊ダイヤモンド、エコノミスト、東洋経済、アエラを欠かさず読みました。 テレビ・ビデオ経営革新をビジュアルに理解するためにテレビやビデオをフルに活用しました。欠かさず見たのはNHK:プロジェクトX、NHK教育:21世紀ビジネス塾、TBS:ビジネスズームアップ、テレビ東京:ワールドビジネスサテライトです。その他にNHKスペシャルをよく見ました。気に入った番組はビデオ録画して繰り返し観ました。企業の『勝利の方程式』が次第に刷り込まれていきました。目から鱗が落ちた番組はNHKスペシャルの『常識の壁を打ち破れ―型破りな生産方式による工場改革』とプロジェクトXの『窓際族が世界規格を作った―VHS・執念の逆転劇』です。見終わった後は感極まってしまいました。また、ねくすとのメンバーから元気な商店街のビデオ(千歳烏山や自由が丘)を借りて見ました。私は商店街をこよなく愛しており、純粋な興味本位で見ました。 二次学習(8-10月) 事例いよいよ直前期に突入です。ビジネスプランのプレゼンテーションをグループ全員で終えてからのグループ学習は過去問中心のディスカッションが主体となりました。マンパのグループは平日火曜日、木曜日の19:00から池袋で、また日曜日は秋葉原の公民館を借り朝10:00から夜22:00までやりました。よく皆私の学習ペースに着いてきてくれたものです。平日は事前に問題を解いてきてのディスカッション、休日は問題を皆で時間を計ってその場で解き(その場で解っ訓)、解答後すぐコピーを人数分取りディスカッションをしました。この頃はてにをは等の表現方法にまでこだわって議論しました。また与件の制約事項を無視していないか、与件文や設問文の内容とマッチしているか、解答に一貫性があるか徹底的に議論しました。同様のことをねくすと勉強会で水曜日に、また8月下旬より弱小というねくすとの兄弟勉強会(毎週土曜日開催)に3回だけ顔を出し議論しました。 白書・施策に再度注力白書は事例からそのまま問題が出題されることを想定し更に読み込みました。白書至上主義ともいえるほどです。受験直前に私の白書を見た方は、その形状に皆一様に驚いていました。また施策もJ-conの特別セミナーレジュメの問題を繰り返し5回解きました。重要と思われる施策は全て暗記しました。 模擬試験模擬試験で成績優秀者となることが合格への近道と思い、計3社の模試を受験しました。 初回はマンパの8/19です。1/5は施策の問題で財務は全く出ませんでした。事例Uの生産管理の問題は最悪の出来でがっかりしていたのですが、答案が返却されると相対順位が高く総合で約1000人中20位、事例Tは全国トップでした。次はその翌週の学院。こちらは財務が丸々ありました。大半の問題が長文で与件文だけで5−6ページありました。こちらは総合で700名弱中102位と不本意でした。最後は9/3のJ-conで、大半の問題が字数制限で一次の知識が問われる問題でした。一次の学習をほとんどやっていない私にとって受験後の感触は非常に悪かったのですが、こちらもふたを開けてみると約350人中20位でした。1年前に学習したことでも意外と忘れていないものです。 模擬試験を受けて分かったことは自身の相対順位が大体上位一割前後にあるということでした。この相対順位を本番までキープできれば合格の可能性は大いにあると感じました。 そしてその後はJ-conの直前対策に出て不安な一次知識の総復習を行い、施策の暗記に努めました。二次本試験直前一週間前は遅すぎた夏休みを取得しTACの自習室でねくすと勉強会の仲間と施策総覧と白書を今一度読み込むとともに事例も勘が鈍らないように一日一問解きました。前日はねくすとのメンバーが十数名集まり富士見区民会館で施策当てまくり大会を行い、わが学習は幕を閉じました。 二次筆記受験当日青学で受験しました。ねくすと勉強会のOBが何人かLECの講師をしており、校門で頑張れと励まされ教室に向かいました。チョコーレートや携帯酸素、目元ひんやりシートを持ち込み万全の体制で臨みました。ところが、事例Tからつまずきました。人事など全く勉強していなかったのです。といいますか協会が発表したマーケ、生産、人事、財務のことなどほとんど無視していたのです。これには参りました。なんと出題が順番まで同じなのです。おまけにSWOT分析に4色の蛍光マーカーを使っていた私は試験監督の筆箱を閉まってくださいの指摘に頭が真っ白になってしまいました。得意なはずの財務もCF計算書が埋まらず、試験終了後は放心状態でした。 その後ねくすと・弱小勉強会合同の打ち上げがあったのですが、いつになく荒れてしまい自棄酒をしてしまいました。自宅に帰ると悔しくて涙が止まりませんでした。 口述試験に向けて翌日は休日出勤をしてから駄目もとで再現答案を5時間かけてワードで作成しました。その再現答案を持ってMMC、学院、J-con、マンパと4つの受験機関の解答速報会に行きました。改めて自分の答案の出来の悪さを再認識しました。しかし今度はマンパの口述対策セミナーに行くとパネリストの答案もそれほど練られているものではありませんでした。相対順位ではふたを開けるまで分からないなと思いました。そこでTACの証券アナリスト二次講座に通う傍ら本試験の事例について改めて見直しました。今回落ちたらもう二度とこの資格の学習をすることはないと決めていましたので、万全を尽くしました。 二次筆記合格発表12月1日のことです。TACの授業から帰ってみると自宅に協会から封書が届いていました。あれ発表は12/3のはずなのにどうしたんだろうと思い封を開けてみると口述試験の案内でした。これは合格率が高くなったんだなと思っていたら12/3にHPで確認すると合格率10.7%と出ておりビックリ。あと一週間をどうすごすべきかと悩んでいたところ、マンパが無料で模擬面接をやると言うので参加、本番に向けてのいいトレーニングとなりました。また前日には学院の川口先生が有志に特別セミナーを開いてくださり、気持ちの整理がつきました。 口述試験当日面接なんかではなく、本当に口述試験でした。明治大学リバティータワーの9階で受験しました。口述試験開始の30分前に控室着席し神妙な面持ちで呼ばれるのを待つ。呼ばれてみるとやはり緊張のあまり胸が高まる。ノックをし面接室に入る。全てが事例に関する質問。4つの質問に関してある程度やり取りをしながら答える。 内容は以下の通りです.来年トライされる方のご参考になれば幸甚です.事例1のパン屋について中長期的な経営戦略と管理職のモラールアップ策、事例4の財務事例で資金繰り向上策、社内情報システムの構築についての出題でした.解答すると、更に面接官が切り返し質問してきて結構エキサイティングでした. 例えば、「資金繰りを改善するには、売掛債権の回収条件の短期化や買掛債務の支払条件の長期化を得意先、仕入先企業に要請する」と解答すると、面接官は「当社は例えば売掛サイトを60日と決めてシステムを構築しているので、簡単には条件を変えられないんですよ」と切り返す.そこで小生は「それならば、御社は売掛債権が多いので、そちらを証券化(流動化)する事により資金繰りを改善する事が出来ますよ」と返答.面接官は「なるほど、そういう方法もあるのですね」と。こんな感じで、全ての質問は進められました. やはり、受験勉強としてのペーパーテストでは問う事の出来ないコンサルタントとしての受け答えや発想の柔軟性などが問われているのでしょう.そういう意味では今回の口述試験は極めてまっとうな試験でした。グループ学習でディスカッションしていた事が本当に活かせませした.最後の質問にERPをASP方式で導入すれば中小企業といえども最適な情報システム導入が可能ですと答えた時点で十分に合格への手ごたえを感じました。『絶対いける、合格できるんだ』って体中に震えを感じました。私の診断士学習は本当に様々な勉強会でのグループディスカッションに尽きます。これまで半年間コツコツとグループディスカッションしてきたことが、この10分間で本当に出せました。 終わりに結果は合格でした。思えば長い2年間の診断士受験生活でした。私にとって、この2年間は夢中で駆け抜けてきた青春そのものです。ただ合格したらしたで嬉しいはずなのですが、なぜか実感が湧きませんでした。今、実務補習が終わり、診断士試験で習った様々な知識、思考のフレームワークを実際のコンサルティングに応用できることを体感して始めて実感が湧きつつあります。 実務補習は、とある老舗スイッチメーカー(従業員55人、業歴50年)の社長や若き株式公開志向ベンチャー(従業員20人、来年度基準で株式公開予定)の社長に経営診断に関するインタビューをしたり工場見学をしたり、民間企業、官公庁、業界団体や専門雑誌の記者に業界動向に関して取材をしたり、皆でたくさんの模造紙を使いブレーンストーミングをしたりで非常にエキサイティングでした。たまたま実習先企業がまったく対照的なため非常に勉強になりました。先生がここまで考えているとは思わず脱帽です。 極めて優秀なプロコンの先生に指導していただき、その発想の多面性や思考の深さ、そして情熱にただただ圧倒されるばかりで、しんどいけれど充実した毎日でした。また極めて優秀なメンバーにも恵まれ一生の財産になりそうです。二社目の報告書作成はリーダーを務めたのですが、3テーマも執筆を担当し、回らなくなってしまいました。直前は結局二徹したのですが、グループのメンバーに助けられ、無事診断報告会前日の24:30に原紙を池袋キンコーズに製本依頼することができました。この時は『All for one,One for all』という言葉をつくづく実感しました。 皆さんも実務補習、そしてその先にあるそれぞれの理想や夢のために誰よりも質・量ともに学習し出来る限り早く合格してください。方法論さえ間違わなければ必ず努力が報われる試験です。その為に一刻も早く一次の知識を蓄積し、事例問題を繰り返し議論してください。私も今、その先へ向けて虎視眈々と修行中です。皆さんと理想と夢について共に語り合う、そしてそれを互いに実現することを心から楽しみにしています。 最後に皆様にこの言葉を贈ります。 『思いは叶う』 『努力している人間を、運命は裏切らない、必ず、道は開ける』 それでは乱文・乱筆にて失礼いたします。 |