| 〜 この体験記は受験勉強時代を支えてくれた妻にささげる。(書けといわれた。) 〜 【受験歴】 ◆ 勉強期間の出来事 ◆ 4月の受験校は、その年の1次試験がターゲットではなく翌年の05年合格に向けたストレートコースが主だった。説明会に出たときには、僕も05年ターゲットのつもりになっており、5月から始まったクラスでゆっくりと勉強を開始した。(今にして思えば、ここから全力疾走し04年の1次合格を目指すべきだったのだが・・・。) 受験歴のある方には想像に難くないと思われるが、1年3ヶ月も先の試験に照準があわさっていたため、勉強のペースは非常にゆっくりしたものだった。月2回程度の受験校への通学、予習といってもたいしたことはない。何かを変えようと思った自分が、学校に通い新しいことに挑戦している。。。そんな気持ちで何も変わらない状況を直視していなかったのだと思う。 とはいえ、この頃から2次筆記試験の重要性は理解していた。そのため04年の夏頃からせっせと日経の記事を写経したりペン習字の本で字を練習したりしていた。1次はやればなんとかなる、問題は2次試験だと学校でもいわれていたせいもあるだろう。 特に勉強の進捗を確かめる機会もないまま、冬にさしかかった。この頃には学校のクラスに親しい人もできた。12月頃に、勉強会OBのブログで「ねくすと勉強会」の存在を知った。それまで勉強会に参加するということすら思いつかなかった自分だが、2次試験合格にはグループワークがあった方がよいと思い、すぐに参加申請をした。 この出会いが僕の受験勉強に大きな衝撃をもたらした。 それも当然だったと思う。受験経験を持っている方のなかには過去1次試験に合格した方もいたから、レベルの違いは大きい。そのうえ、その年の権利を賭けて必死に勉強しているのだから心持からして違う。まさに見る人すべてがディープインパクトだった。 このペースではいかん!と思いたち、そこから高速回転がはじまった。 議論してみて、すぐに1次知識が不足していることに気づく。議論するとか解答するレベルではない。ベースの知識を固めなければ事例が解けない。そこで、1次知識も並行して補強することにした。水曜日が中心の勉強会だったが、土曜日も丸一日やっているということだった。そこで土曜は1次組にも参加。LECの800問をグルグルまわす。とにかく回す。学校のペースの何十倍ものスピード感だった。頭がヒートしてパンクしそうになる。疲れ果ててしんどくなってくる。イライラも募り合格できないかもしれないと無力感に襲われたりもした。 しかし、やらなければ合格しない、合格するためにはやりきらねばならない、そんな執念だけで続いていたように思う。歩いて勉強できるように、暗記カードをつくって見ながら移動した。問題集は科目ごとに切り離してかばんのポケットやズボンのポケットにいれられるようにした。信号待ちは貴重な資源だった。 5月頃には、土曜ねくすと(どねく)のメンバーで特訓を行う。例えば「1日法務だけ」のように、ひたすら模試を解き議論する。この取組は「法務的な頭」をつくるのに非常に効果的だった。それ以降、法務で点を取るポイントが掴めたため、楽だった。 6月頃からは「金曜日ねくすと(きんねく)」もはじめた。水曜、土曜に加え、金曜も夜に集まり勉強した。この時の過去模試でとった運営管理34点は今も忘れられない。この危機感で運営管理も徹底して補強した。 そうして向かえた05年の1次試験。会場では一緒に勉強した仲間が何人もおり緊張が和らぐ。出た財務事例が簡単で拍子抜けするも、一転して厳しい運営管理。翌日の法務、中小とあわせて厳しさを感じた。(中小はあまり勉強していなかった。) 自己採点をすることなく2次に挑む予定だったが、やはり気になってしまう。受験校の速報で採点し、正解が割れた箇所は×として数え、合格に届いていそうなことを確かめる。その年から解答が発表されることになった1次試験。改めて正式な解答で再採点しなければならなかったが、手が震えて心臓がバクバクしたことを今も鮮明に覚えている。
□ 05年2次試験まで □ 結果は残念なものだった。特に財務事例はほとんど落としていた。簡単な計算問題ではあったが、ミスが多かった。ここで今年はダメだろうと思った。試験が終わってから、財務以外はダメとも良いとも感じなかったため、心のどこかで「もしかしたら・・・」という気持ちがあった。ダメだったことを知ったときは「やっぱり・・・」とも思ったから、心というのは都合がよい。財務が悪かったことが分かっていただけに受け入れられる結果だったのだろう。しかし他の事例については出来が悪いと思っておらず、まだ自分を正当化することしか知らなかったのだと思う。このことが翌年の勉強に響くこととなった。 □ 06年2次試験まで □ 4月半ば、モチベーションはどん底、勉強をなめているくらいまでやらなくなり、形だけ勉強しているだけで何もしていない日が続いた。いや、勉強自体はかなりしていたのだが、気持ちが入っていなかった。そんな様子をブログで見ていた勉強会OBから渇が入る。そこで気持ちの再生を果たす。どうせやるのだ、今より良くならなければと思い回転数があがった。 その勢いで5月にはいる。これまた勉強会のOBが助けてくれた。GWにちょっとした特訓を催してくれたのだ。これがビンゴ、自分や他の受験生仲間に欠けていた、事例の方向性の把握力を強化してくれるものになった。 一方で、自分の答案には高得点に結びつかない、何か阻害要因があると感じはじめていた。自分ではうまく書いているつもりでも、模試の返却答案や勉強会のOB、メンバーから分かりにくい等のツッコミをもらうことが多くなる。書き方が悪い、伝わらない、具体的に書け、などのコメントが増えたように思った。 この頃から財務問題も定着化を図るようになった。難しい問題は一切しない、基本問題を何度も繰り返すという1次のノウハウを活かした。ツール作りを開始し「財務のかけら作戦」を遂行した。財務問題を「毎日無理なくできる」ツールに落とし込み、欠かさず行うようにした。財務は「知っていること」と「出来ること」の差が大きいと、落ちた2次試験で痛感したためだった。 1次試験は受験する予定であったが、7月に入り、当初の「1ヶ月前から勉強開始」を「2週間前から開始」に変更、模試も受けなかった。7月下旬には「2週間前から開始」をさらに変更、「何もしない」にした。その分、2次事例を解いた。結局、当日の朝、電車にのってはじめて経済学を復習しただけで受験。何とか昨年の貯金で合格したのだった。 この夏の時期は、解法が安定せず苦労していた。 1次試験後の模擬試験では、ほとんど上位10%に入っていた。一番悪かった模試が20%をちょっと上回っていた程度だったため、とても悔しかったことを覚えている。去年は上位20%や30%で喜んでいたのがウソのようだ。(TAC模試は電卓を叩いてびっくりした。コンマ数%だった。TACは母数が多いことを実感した。)この頃には解法も安定してきていたし、模擬試験そのものを本試験なみにシミュレートして受けていたから、このまま安定して受けられればいいなぁ、と思うところまで来ていた。もう勉強会OBからは「大丈夫だよ」とプレッシャー(笑)をかけられるし、模試の結果も「大丈夫」といっていたから、逆に「これでダメだったら、自分はどうすればいいんだろう・・」と変な悩みを持つようになっていた。 この段階まできたとき、油断しないことに頭を使うようになった。とにかくまだダメだ、まだダメだ、もっともっとと、貧欲にミスを改善した。見落としがあれば見落とさない方法を、読み間違いがあれば読み間違いをなくす方法を、常に考えた。100点を取るまであきらめないつもりで改善し続けた。勉強会では、後ろから迫ってくる1次合格者の足音が聞こえていたし、手を抜けば一気に落ちると恐れていた。模試の結果も、まだ上がいる、後何人いる、と自分に言い聞かせていた。昨年のように、心のどこかに巣食っている「もう大丈夫だよ」という悪魔のササヤキには一切耳を貸さなかった。 □ 本試験 □ そつなくこなせたと思う点もあったが、時間ギリギリまで粘ってもかけなかった箇所や、結局方向性を解答に落とし込めなかった箇所など、悪い点を探せばたくさんあった。仕方なく書いた解答が多かったというのが正直なところだ。しかし、それくらいしか書けないだろうということを、事前に解いたたくさんの事例のなかでわかっていたから、本試験でも割り切って書けたのだと思う。本試験で新しいことは一切せず、いつもの通りのことが出来たということだけ確かめ、リバティタワーを後にした。 ◆ 勉強内容 ◆ □ 1次試験 □ 詳しい知識は、勉強会での話題以外に仕入れなかった。特に関連書籍も読まなかった。新聞も読むことをやめた。追加点を取ることは考えなかったためである。その代わり問題集をしっかり回して、基本問題を落とさないことには拘った。 模試では、平均点を下回った科目から重点的に復習した。特に設問ごとの正答率は大切に使った。受験生全体の正答率が高い設問で、自分が間違えていたり理解していない問題は必ず復習した。消化不良になったときも、「他人より劣っている順」に復習していたため不安は少なかった。 LEC800問やマンパ1000題では、主に外出先で勉強したため正解・不正解をメモすることはしなかった。そのため出来た問題を飛ばすことはなく、全ての問題を回転させていた。効率をあげるため、解答は見開きの右下余白に鉛筆で記入した。ちょうど手に持って隠せる位置である。右手で解答を隠しながら持ち、そのまま指をずらすと解答が見えるようにした。電車や道端で、「第1問ア、OK。第2問イ、NG」のように高速チェックできた。間違えたところは解説をめくるのだが、回すうちに解説を見ることも少なくなっていった。 勉強会では、自分の言葉で知識を話すよう気をつけた。というよりも、そういう勉強が中心の会であった。分からないことはその場で分かるまで話あったし、それでも分からないことは後で調べてメンバーと共有した。勉強会で効率よく知識の質を高めていき、問題集のグルグル回転で定着を図った。 サブノートはつくらなかった。つくりかけたことが何度もあったが、整理することが得意ではないため、いつも挫折していた。 □ 2次試験 □ 06年はその反省からはじまり、合格者が行ったことを整理することからはじめた。頑張るというより、うまくやることを考える方がよいと思ったためだった。根本から間違っているより、おおよそ合っている方がいい。細かな論点は正さず許容するようにした。12月には1年のロードマップを描いていたし、その後もロードマップを見ながら走っていた。 モチベーションが下がった時期を除けば、「合格するために今必要なことは何か?」という視点を忘れずに自分の課題を見つめ続けたことも、工夫のひとつだった。合格者・OBの言葉で「これは!」と思ったものはメモ帳に書き込み、自分で発見した気づきもメモ帳に書いた。時々は合格体験記を読み、80分間の真実を読み、欠けているものを探しながら自分の穴埋めをしていった。 受験校や模試はうまく使うことにした。通信しか受講しなかったがフィードバックが丁寧と評判の学校を選んだ。記述が弱いと分かった時期には、再添削してくれる通信を追加で申し込んだ。模試は当初の目論見の達成を重視し、さもなければ解答を捨ててしまえというくらいの気持ちだった。答練や模試の結果を重視しないのなら最初から受けなければいいのだから、受けた以上は受けたときの動機を大切にして、苦しい結果にも向き合って受け入れた。模試に対しては、当初は平均以上、できれば上位20%入りをひとつの目安に、1次試験後は記述面でネガティブなコメントがなくなることを目安にしていた。 事例を解くという行為は、実力を確かめる機会から試行錯誤する機会に変わった。こうすれば正解に近づくはずだという仮説を、実証する機会に変わった。こうすれば早く解答にたどり着くという仮説を、実験する機会に変わった。新しい試みはうまく行かないことが多かったが、その失敗から得られた気づきの方がもっと多かったように思う。とにかく色々な手法を試した。捨てた手法もあるが、昇華してやらずに済むようになった手法も多かった。(極端な話ではあるが、本試験前には時計や筆記用具を置く位置や角度まで決まってきていた。)受験勉強期間を通して軽く200や300の事例は解いていると思うが、06年は解きっぱなしにならないようにも気をつけた。 事例の復習は力を入れて行った。模範解答の写経、自分の解答との比較、もらったコメントの吟味、などなど。時には勉強会メンバーに声をかけて一緒に復習した。数人で復習すると、自分だけで復習するよりも早く深く反省できてよかった。他人の模試解答もコピーをもらい、どんな解答だとどんなコメントをもらうのか確かめた。大切にしたのは答練・模試の問題や模範解答にケチをつけないことだった。(本試験の模範解答はほとんど見なかった。) 財務の練習は継続性を大切にした。続けられること、応用問題であること、を重視して簡単にできる問題を選んだ。GW頃には、自前の問題集をつくる「財務のかけら」作戦を開始した。小片でよいから毎日続けることを重視した。A4用紙1枚に問題・設問をまとめ、1枚=1問が単位となるように模試・問題集を切り取った。このA4用紙1枚を「かけら」と呼んだ。この「かけら」作りは手間のかかる作業であったが、蓄積された問題を繰り返し解く作業は確実に軽減され、隙間時間に簡単にできるようになった。時間的に辛いときは2カケラ、余裕のあるときは3カケラのように融通も利いた。模試で解けない問題が出たら「かけら」に追加した。「かけら」を回転させたおかげで、苦手問題はほとんどなくなった。また去年のように分かっているけど解けない状況も皆無に近かった。 ◆ 全体を通して ◆ 勉強会では、OBの助言や受験生同士の議論、一時期下がったとはいえモチベーションの維持向上、受験情報の交換など多様な側面でお世話になった。というよりも、受験生活=勉強会での生活に近かった。本当に勉強が好きでない自分にとって、この資格の勉強は辛かった。決してひとりでは続けられなかったと思う。場所取りなど運営面で大変なこともあったが、それも結果につながった今となってはいい思い出だ。 最後に、受験を色々な形で支えてくれた家族にお礼をいいたい。 以上、長々とお付き合い頂きありがとうございました。 |