みなおと

はじめに

 12/7(金)、朝からの会議が長引いた後、AM10:20頃会社を出た。付近のビルの谷間の人が少ないところ。スマートフォンで受験番号26を探した。なんと番号があった。すぐに妻に電話した。言葉につまりながら受かったことを伝えると号泣している。それにつられてこちらも涙が溢れた。この5年間、2人の子供が元気に誕生したこと以外で最高の感動の瞬間だった。

御礼

 ご指導頂き、合格に導いて下さったOBの皆様、受験生仲間の皆様に感謝の言葉を申し上げます。皆様が私を合格に導いて下さったことは間違いございません。本当にありがとうございました。
また、ぶつぶつ言いながらも勉強に理解を示してくれた妻、大病もせず、すくすく育ってくれている娘と息子、本来自分がやるべき仕事を請け負ってくれていた会社の同僚にも本当に感謝しております。
皆さんにお世話になり合格することができました。
重ねて御礼申し上げます。

診断士受験の経緯

 商社の営業として日々仕事をこなしている中で、自分は回転する丸い滑車を走るマウスのように感じることある。その円は時間が経つにつれ大きくなりこそするが円は円だ。この円から降りるために自分が何か変わらなければ行けないと思った。自分が変わらなければ同じことしかできないと考えたからだ。そのために「目に見える資格っていいな」と思ったのが最初の動機だ。
また会社はいつでも信賞必罰を大義名分に様々な人事を行っている。自分の行動を縮こまらせないためにも、会社にすがりつかなくても生きていけるようになるための努力が必要だと考えた。会社以外での取り組みをしたかった。
この目的を満たす資格として中小企業診断士をPICKUPした。3年位でなんとかなるだろ、と本当に甘い気持ちだった。

1次試験について

 私はねくすとで1次組で勉強した経験がない。そのため1次知識が曖昧であとで苦労したのだがどのように取り組んだのか簡単に紹介する。
私は以下のように勉強を進めた。
初年度、3科目に絞って財務や経済学、経営情報の勉強だけをやった。正直全て初めてで理解するのにかなり時間を要した。今振り返ると時間をかけ過ぎてしまったと思う。しかし本当に理解するのに苦労した。
ハマッてしまうと本当に時間が経過してしまう。経済や財務等、2時間位すぐ経過していつも焦っていた記憶がある。
なので2回目の1次試験は難しそうな論点は付箋を貼っておき、後回しにしてとにかく進めていった。2回転、3回転と繰り返しやっていくとスッと理解できこともあった。またはどうしても分からない場合はその問題が出たら捨てる、位でやっていた。
各科目の難易度が毎年変化するリスクに対応するため、各科目の勉強時間を平準化した勉強計画を立案して7科目の勉強時間配分を意識する必要があると思う。

インプットとアウトプットに分けた
最後の2か月はひたすら問題を解く。分らない個所は理解するために時間を取らず。(財務だけはしっかりやった)とにかく暗記した。これは問題を繰り返し解くことで行った。

勉強結果と勉強時間について

2008年 1次 500時間(9月~7月)(財務・経済・情報)

2009年 1次 800時間(9月~7月)1次通過(1回目)
2009年 2次 150時間(1次終了後~10月) CCAA B

2010年 1次 勉強せず
2010年 2次 850時間(1月~10月)    BBBC B

2011年 1次 400時間(1月~7月)1次通過(2回目)
2011年 2次 200時間(1次終了後~10月) DBAA B

2012年 1次 100時間           申込み忘れ
2012年 2次 600時間(2012・1月~10月)  通過

上記のように私は勉強時間をほぼ毎日記録した。結果的に5年間勉強を続けてきた。
途中から一生受からないかもしれないとか考えるときもあった。そういった状況でもモチベーションを維持できたのはもちろん勉強仲間やOBの存在が一番だ。あとはこの勉強記録の存在も大きかった。頑張ってきた自分を可視化しておくことは結構お勧めである。
もう辞めようかと思ってもやっぱりもったいないと思うからだ。

2009年2次初受験

 2次初受験のこの年、ふぞろいや2次試験の過去問題集等をやってみた。それとTACの2次試験直前演習(通信)を申し込んでみた。これらをなんとなくこなして本番を迎えた。ちなみにTACの演習DVDはほとんどを見なかった。最初のDVDを見ても理解ができなかったからだ。
今振り返ると自分の中で勉強して臨んだ感はほとんどなく、どんな勉強したのか等ほとんど記憶にない。
試験当日はなんとかマス目を埋めて終わり、当然の不合格だった。
2次試験の権利を持つ次年度を、どういう対策を取れば良いか途方に暮れていたとき、ねくすと勉強会の存在を知り、勇気を出して入会の申し込みをした。

2010年、2次組でねくすとを体験して臨んだ2次試験

 ねくすとに入れて頂き2次組に入った。メンバーの受験生のレベルとモチベーションの高さに圧倒された。ついて行くのに精いっぱいで、こんな方々が四苦八苦している試験だったのかと2次試験の厳しさを痛感した。同時に自分の甘さも。
また、親身になって教えて下さるOBに感嘆したことも覚えている。なぜそんなに?という問いに対して【合格してOBになって返して】という返答だった。素晴らしいシステムだ。これはますます頑張らねばと思った。

受験生やOBの方々から本当に多くの突っ込みを頂いた。【与件から言えますか?妄想が入ってますよ】、【与件の言葉を使いましょう】、【因果が飛んでいます】、【この解答の優先順位が一番ですか?】、等々。今思うと恥ずかしい限りだが、自信を持って解答を持って行った記憶がある。その解答に大量のつっこみを頂き、いつもへこんで帰途についていた。あるOBから【このままでは絶対に受からない】的な厳しい言葉も頂いた。私もだんだん周りが見えてきて受験生の中で劣等感を感じていた。
そこでOBに相談に乗ってもらい、個別に指導して頂いた。宿題は【1事例に10時間かけて与件の言葉だけで解答を作る×事例Ⅰ~Ⅲ】だった。取り組んでいるときにはなぜこんな宿題なのか理解に苦しんだ。だが確実に効果があったと思う。私は与件の理解や整理が不十分なまま解答作成に時間をかけていたのだと気付いた。今考えると与件への読みや理解が足りなかった。というか読む、考える、書く、どの観点のも実力も全て不足していた。しかしあまりにたくさんつっこまれたため、1年間しっかり2次試験対策を行ってきた自負だけはあった。

余談だがねくすと初年度のこの年、不安に感じながら取り組んでいたことがある。ねくすとは時間無制限ベスト答案を持ち寄って議論するため、このままで【80分で解けるようになれるのか?80分対応の訓練もした方がいいのでは?】という不安だ。
OBの方に相談すると、「全く問題ない、80分対応は最後1か月でできる」、「無制限で合格答案が書けない人が、80分で合格答案絶対に書けない」という確信に満ちた回答を頂いた。言われていることは理解できるが半信半疑だった。しかし2次試験を通過できた今、私も本当に同じことを感じている。
2次試験を数回受けて行くと分かるが、これは本当だ。だから皆さんも80分対応は早い時期に取組んだり、する必要は全くない。心配も不要だ。まずは無制限で合格答案を作成する力をつけるべきだ。

この年はねくすとで同じ受験生やOBの皆様にご指導を頂き、動機づけされ、勉強のペースメーカーにもなってもらう等、本当にお世話になった。1番勉強した年でもあった。でも結果は不合格だった。財務で定規を忘れパニックになるアクシデントも手伝い、完全に実力不足だ。直前に体調不良で倒れたアクシデントはあったものの、2次対策に絞って勉強してきたため本当に悔しかった。同時に1次6時科目を残し、ゴールが途方もなく遠く感じたことを覚えている。

2011年1次試験受験

 この年は、2人目の子供が生まれる等、環境に変化があった。そんな中、一度通過した1次試験へのモチベーションが中々上がらなかった。ねくすとに参加できなかった。あげくに仕事と家庭を言い訳にねくすとを退会した。
ただ1次試験の勉強を独学で継続していた。1次試験は運よく6科目合計360点ジャストで通過できた。
2次試験の権利を得てどうしようか思案している頃、あるOBからねくすとに復帰してはどうかという打診を頂いた。早速復帰させて頂き、すいねく、どねくに出席した。OBやメンバーの受験生の方々が非常に暖かく受け入れて下さり、ありがたかった。本当に自分勝手だとは思いながらも、合格して恩返しすればいい、と開き直っていた。
しかしこの年も2次試験は敗退。事例ⅠでD判定の大事故を起こしていた。再現答案で比較してみると皆が一様に書けている箇所で大きく違う解答があった。分析の結果、事例の【読み、理解】で致命的なミスがあったようだ。このミスの原因を突き止め、改善することが次年度の大きな課題であった。

2012年

 この年はねくすとをフル活用しようと決めていた。とにかく課題を意識しつつも全て一からの出直しを目指した。すいねく、どねくの出席はもちろんだが、毎事例をMLにUPすることを目標にした。特に事例Ⅰについては必ずすいねく、どねく、MLを確実にこなした。この年もねくすとをペースメーカーにした。加えて前半はD判定要因と思われる読む能力、理解する能力の改善のためにロジカルライティングの本を徹底的に読んだ。同時に効果があったかどうかは不明だが新聞の社説を読んで題名を当てる訓練なんかも行った。
GWや3連休、直前などのスペシャルも殆ど全て参加させて頂いた。馴染みのどねくメンバーと話し合い、その時その時に必要な財務、80分解き、一日6事例解き、初見解き等々。1人で行うにはどれもしんどい企画である。受験生仲間やOBのおかげでなんとかついて行くことができた。
またこの年からねくすとのメソットの一つである【方向性】についてぼんやりと理解できるようになってきた。またこの【方向性】を活用した解答作成に磨きをかけていった。とにかくロジックツリーや方向性作成に時間をかけて行った。解答よりも方向性のツリー作成に2~3時間位かけた。幸い、どねく2次組メンバーも同じ課題に取り組んでおり、じっくり議論できる機会があった。
私は基本的にすいねくよりもどねくを軸にしていた。水曜日は仕事が長引くことが多く、出席できたとしてもいつも大幅な遅刻参加で消化不良になってしまう。そのため確実に出席が可能などねくをメインのアウトプットの場とした。どねくの後にMLにUPすることでベスト答案を完成させていった。

1月~9月位までは全て過去問を行う勉強だった。今までねくすとへ在籍してその重要性が分かっていたからだ。事例企業がどうすれば成長できるのか、その成長のためにどんな課題が浮上するのか、組織人事、マーケ、運営、財務等の観点から分析する訓練が必要となる。そのために過去問を何度もやり込むことが重要だと思う。ねくすとで過去問を議論することで、何度もやっている過去問から新たな発見を見出すことも多々あった。
予備校の模試と違い、過去問は本当に何度もやり込む価値があるはずだ。

しかし最後の2、3週前には初見対応の訓練も行った。これはすごく良かったと思っている。解答作成を行わず40分で方向性までの作成を行うスペシャル企画があった。4~5人で時間を計測してやった。緊張感もたっぷりだった。
この方法で直前にたくさんの初見解きができた。最後まで過去問1本でやるより格段の効果があったと思う。私はこの年、模擬試験すら一度も受験していなかった。一人では問題の準備すらままならい状況だった。企画してくれて一緒に取り組んだ仲間に感謝である。まさに団体戦で取り組めるねくすとのメリットを享受していた。

試験当日

 事例Ⅱのコーズリレーテッドマーケティングで大怪我をしたことを何とか忘れようと取り組んだ事例Ⅳで頭が真っ白になった。事例Ⅰ~Ⅲまでは当日は無難にこなしていると思っていた。(Ⅰ~Ⅲも後で再現答案を見返すと非常に落ち込んだが)。
しかし事例Ⅳはきつかった。いつもと違う問題形式と売上原価の求め方に迷って時間があっという間に過ぎた。40分以上使って第1問を終えて、できそうなCVPの計算問題を完了して落着きを取り戻した。しかし、しっかり書き込んだが解答が、枠が一つずれていることに気づいてやり直しになった。消しゴムで一所懸命に全て消した。そのとき解答を写す前に消してしまったことに気づき、始めから問題に取り組んでいるとき心が折れそうになった。「ああ、今年もダメだ」と。でもやれることやっとこうみたいに開き直り心境になって最後まで粘れた。結果NPVの問題を白紙で80分を迎えてしまう。

合格の確信は当然持てなかった。だからと言って1次試験7科目を3回目に受験するための勉強にも取り掛かれない日が合格発表まで続いた。祈るような気持ちで合格発表日を待っていた。

勉強以外について

 体との相談は相当重要と思う。体は土台、基礎、資本。この自己管理をしっかりすることも試されている試験だ。2010年の2次試験の1か月前に胃潰瘍になり大量吐血して入院した。仕事、勉強どころではなかった。ここまででなくても風邪等で体調を崩せば仕事が滞り、家族に迷惑をかけ、勉強が計画通りに進まなくなる。体に過度の負担がかからないように自己のPDCAにも気を配ることが必要だ。自分の体に格別の自信がない方は、まずはどこまで頑張りすぎると自分の限界がくるか等を認識しておくと良いと思う。
その限界を超えた日が続かぬよう勉強時間をコントロールすべきだ。私は最後の2か月は睡眠時間もチェックした。1週間で45時間以上睡眠を取るように調整し、万全の体調で2次試験当日を迎えることができた。

最後に

 今後はねくすとへ恩返しをしつつ、中小企業診断士になって新たな世界を見てみたい。
皆様、今後ともご指導ご鞭撻の程宜しくお願いします。
ありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください